◎宗派の流れ
道元禅師は、中国、天童山景徳寺「如浄禅師」の佛法を継承した、「正伝の佛法」として受けたが、宗派を明示しなかった。
(その流れは、中国南宗禅より五家八宗より来てる。日本には、その中の三宗が来ている)
○「曹」の字
二つの説がある。
一、達磨大師より六代目の曹渓山大鑑慧能禅師(そうけいさんだいかんえのうぜんじ)(638-713)
二、曹山本寂禅師(そうざんほんじゃくぜんじ)(840-901)
○「洞」の字
洞山良价禅師(とうざんりょうかいぜんじ)(807-869)
道元は、洞山良价禅師と雪峯義存禅師の師弟の問答を知り、如浄を通して「二身一体」(心と身体の相対)を深く理解したと思われる。それは、つまり「字とか言葉」では限界がある。釈迦の「拈華微笑」に通ずる。それを禅の世界では「不立文字」と云う言葉で表している。(典座教訓)
○道元禅師略年譜(1200~1253)
元号 西暦 年齢 道元禅師事項・著書
正治二 1200 1歳 京都に生まれる
建仁元 1201 2歳
建仁二 1202 3歳 十月、父久我通親死す
建仁三 1203 4歳 『百詠』を読む
元久元 1204 5歳
元久二 1205 6歳
建永元 1206 7歳 『左伝』『毛詩』を読む
承元元 1207 8歳 冬、母死す
承元二 1208 9歳 『倶舎論』を読む
承元三 1209 10歳
承元四 1210 11歳
建暦元 1211 12歳
建暦二 1212 13歳 春、良顯について出家 横川の首楞厳院千光房に入る
建保元 1213 14歳 四月、公円について剃髪、菩薩戒を受く
建保二 1214 15歳 この頃、円城寺に公胤を訪ね建仁寺の栄西に相見する
建保三 1215 16歳
建保四 1216 17歳
建保五 1217 18歳 秋、建仁寺の明全に従う
建保六 1218 19歳
承久元 1219 20歳
承久二 1220 21歳
承久三 1221 22歳
貞応元 1222 23歳
貞応二 1223 24歳 二月、明全らと建仁寺を出て入宋の途につく 四月、寧波に着く五月、船中で阿育王山の老典座に会う 七月、天童山に登り、無際に参ず秋、仏眼派の嗣書を見る この年、雲門宗の嗣書を見る
元仁元 1224 25歳 一月、無際の嗣書を見る 冬、諸寺遍歴の旅に出る
嘉禄元 1225 26歳 春、徑山の浙翁に参ずついで天台山万年寺の元鼒に参じ嗣書を見る台州小翠岩を盤山に参じ、さらに大梅山に寄る 五月、天童山の如浄に参ず 夏、阿育王山に行く この年、法眼宗の嗣書を見る
嘉禄二 1226 27歳 三月、天童山妙高台で如浄から大梅法常の話を聞く
安貞元 1227 28歳 秋、宋より帰国し、建仁寺に入る『普勧坐禅儀』を撰術する
安貞二 1228 29歳
寛喜元 1229 30歳
寛喜二 1230 31歳 この頃、建仁寺より深草に移り住む
寛喜三 1231 32歳 七月、安養院で了然に説法する 八月、『辨道話』を著す
貞永元 1232 33歳
天福元 1233 34歳 この頃、観音導利興聖宝林禅寺を開く 夏、『摩訶般若波羅蜜』を説く七月、『普勧坐禅儀』を清書する 八月、『現成公案』を書き、楊光秀に与える
文暦元 1234 35歳 三月、学道の用心を説く 冬、懐弉、道元禅師に参ず
嘉禎元 1235 36歳 春、『典座教訓』を著す 八月、懐弉に、仏祖忠正伝菩薩戒を授く
嘉禎二 1236 37歳
嘉禎三 1237 38歳 この頃、正覚尼が法堂を、九條教家が法座を寄進す
暦仁元 1238 39歳 四月、『一顆明珠』を説く
延応元 1239 40歳 四月、『重雲堂式』を著す 五月、『即心是仏』を説く十月、『洗浄』『洗面』を説く
仁治元 1240 41歳 春、『礼拝得髄』、十月『山水経』『有時』『袈裟功徳』『伝衣』を説くこの年、『渓声山色』『諸悪莫作』を説く
仁治二 1241 42歳 一月、『仏祖』、三月、『嗣書』を説く 春、懐鑑・義介・義演ら入門する 夏、『法華転法華』『心不可得』を書き、九月、『古鏡』『看経』、十月『仏性』『行仏威儀』十一月、『仏教』『神通』を説く
仁治三 1242 43歳 一月、『大悟』、三月、『坐禅箴』『仏向上事』『恁麼』、四月、『行持』『海印三味』『授記』『観音』、五月、『阿羅漢』『栢樹子』六月、『光明』、九月、『身心学道』『夢中説夢』十月、『道徳』、十一月『画餅』、十二月、波多野義重邸で『全機』を説く
寛元元 1243 44歳 一月、興聖寺で『都機』 三月、『空華』、 四月、六波羅蜜寺で『古仏心』を説く 五月、興聖寺で『菩提薩埵四摂法』を書く 七月、越前に下がる 七月、『葛藤』を説く 閏七月、禅師峯で『三界唯心』、九月、吉峯寺で『仏道』『蜜語』『諸法実相』『仏経』、十月、吉峯寺で『無説法』『洗面』『面授』『法性』十一月、吉峯寺で『梅花』『十方』『坐禅箴』『坐禅儀』、禅師峯で『見仏』、禅師峯下茅で『遍参』、十二月、禅師峯下で『眼晴』『家常』『龍吟』を説く この年、吉峯寺で『説心説性』『陀羅尼』を説く
寛元二 1244 45歳 大仏寺を開く正月、吉峯寺で『大悟』 二月、越前深山裏で『祖師西来意』、吉峯寺で『優曇華』『発無上心』『如来全身』『三昧王三昧』『三十七品菩提分法』『転法輪』『自証三昧』を説く 三月、『大修行』を説き『対大己五法』を撰するこの年、越前山奥で『春秋』を説く
寛元三 1245 46歳 三月、大仏寺で『虚空』『鉢盂』を説く六月、『安居』、七月、『他心通』、十月、『王索仙陀婆』を説く
寛元四 1246 47歳 この頃、大仏寺を永平寺と改称 六月、『知事清規』を撰する 八月、『示庫院文』を撰する 九月、『出家』を説く
宝治元 1247 48歳 一月、布薩説戒を行う この年、鎌倉に向かう
宝治二 1248 49歳 この頃永平寺に帰る四月、永平寺僧堂に芳香が漂う 十二月、『庫院規式』を定める
建長元 1249 50歳 一月、羅漢供養法会を行う 『衆寮箴規』を撰する 八月、画像に自賛を加える
建長二 1250 51歳 一月、重ねて『洗面』を説く
建長三 1251 52歳 一月、霊山院で花山院某と法談する
建長四 1252 53歳 秋、病む
建長五 1253 54歳 七月、永平寺を懐弉に譲る 八月、療養のために上京する 八月二十八日、京都の宿で寂す
*環境依存文字(unicode)が使われてます。道元26歳中国人僧侶の名前